今年、私たち夫婦は子をさずかりました。
2500グラムに羽の重さをのせたような体重の、小さな女の子でした。
(現在生後9カ月目です)
名前は生まれる前から、候補を3つくらいあげて準備しておりました。
しかし産後、顔を見て候補でない名にしました。
どういう人に育ってほしい?
生まれて1か月間は、妻は里帰りをしていました。
この1か月間の出来事で、今でも思い出す事があります。
もちろん、娘の成長や、妻の身体の事は心配だったし憶えています。
はじめての笑顔や、妻の足のむくみ!(笑)
そういった事も思い出します。もちろんです。
しかし、事あるごとに私が思い出してしまうものがありました。
それは勤めている会社内での出来事です。
社長が私に、なにげなく発した言葉がありました。
「どういう人に育って欲しい、とかはあるのかい?」
というものでした。
「そうですね、自然の多いところで育ててみたいです」と私は答えました。
すると、社長は
「いや、そうじゃなくて、どういう人に育って欲しい?」
私はその質問に答えられませんでした。
答えが出た、と思っても、問いがまだ起こる。
そして、この、
「どういう人に育って欲しい?」
という問いが、事あるごとに私の脳裏をよぎるのでありました。
それは、街で見かける他の赤ちゃんを見たときだったり。
Eテレを見ているときだったり。
本を読んでいるときだったり。
妻と話しているときだったり。
独りのときだったりしました。
そのたびに、何かしらの答えが、出るのです。
優しい子とか、愛嬌のある子とか。
出た、と思うとちょっとスッキリした気持ちになりました。
しかし、また時間が経つと、あの問いを思い出すのです。
「どういう人に育って欲しい?」
答えが出た、と思っても、問いがまだ起こる。
これを繰り返しているうちに、答えはまだ出ていないんだ、とわかりました。
そんな問い自体、考えなくてもいいと思った時期もありました。
運のいい子
しかし、つい先日。
風呂でシャワーを浴びているときに出たのです。
<運のいい子>
とても軽妙なひらめきのようなものだけど、私はこれだと直感しました。
今までは頭を使って、こういう子に育ってほしい。
世間体を考えて、こういう子に育ってくれたら。
自分の過去をふりかって、こういう子になってほしい。
と考えていたように思えたのです。
それが今回は娘の事を想うとしっくりくるのです。
「イイんじゃん」
風呂を出て、妻にこの事を話してみました。
きっと、「ハ?なにそれ」というだろう。
そう思っていたら、
「イイんじゃん」と妻。
「だ、だろ?」と、私は少し驚きながら言いました。
「でもさ」と妻。
「でも?」
「あなたが先に運を良くしないとダメじゃん、親として」
「親として運を良くする?」
「子どもは親の背中見て育つんだから」
「それって、俺の運が良くないとでも?」
「良くないじゃん」と妻。
「どこが?」
「人生全般」
こうして、
私の人生方針と、
我が子の育児方針が、
同じものとなったのでありました。
今回わかった事
■問いを持ち続けると、そのうち答えが出る。
■妻は、私の人生全般の運が悪い、と思っている。