ママといえば、
銀座のママか、尾木ママであって、
パパといえば、
クッキングパパか、バカボンのパパ、この2強であると言われている。
バーバパパというのもあるが、フランス生まれらしく、
2強に比べるとまだ日本での馴染みや存在感が薄いようだ。
祖母に「バーバパパを知ってる?」と聞いてみると、
「ばあちゃんのパパ? あんたのひいじいちゃんの話かね?」と返された。
その点、バカボンのパパの認知度は凄い。
(バカボンのパパは2017年イクメンオブザイヤ―に選ばれています)
「バカボンのパパ、知ってますか?」と質問して、
「いやぁちょっと知りません」と言われる事は、ほぼ皆無ではないか。
茶色い腹巻きや、ハチマキだけで、連想できる存在は稀有である。
昨今のイクメン界では、
ワーク・ライフ・バランスなど働き方を見直す提案がされている。
翻って、バカボンのパパは
基本的に無職であるからして、働き方を見直す必要すらない。
(テレビ局側の都合で植木職人となっているらしい)
もし、働き方について、バカボンのパパに問うならば、
「バカ田ライフバランスがいちばんなのだ」と言われそうである。
そんな事からもわかるように、彼は昔からずっと育児を主体にしており、
時代を先ゆくGIR(グレートイクメンリーダー)なのだ。
バカボンのパパの年齢は、41歳。
私が40歳なので年齢も近く、レバニラ炒めが好物なのも私と一緒である。
先日の事である。
天才バカボンの漫画本に、
『ママがいるからパパなのだ!!』というものがある事を知った。
『ママがいるからパパなのだ!!より抜き「天才バカボン」』
(光文社文庫―赤塚不二夫傑作選) 文庫
このなにげない
<ママがいるからパパなのだ>
というタイトルは、私をハッとさせるものがあった。
一瞬脳がフリーズした。
ママがいるからパパなのだ、とは。
この漫画本のタイトルを再度見る。
もう一度見て、さらに見る。2度見、3度見。
少し混乱しながら、考えてみる。
ママがいるからパパなのだ、とは
=(イコール)
ママの存在が無かったらパパの存在は無かった、
ではないだろうか。
考えてみると本当にそうだった。
「ママ」と、私が妻の事を呼べるのは、
妻がいのちをかけて娘を生んでくれたお陰だ。
40歳という出産にしては、妻は高齢だった。
あのとき陣痛から出産まで、約30時間も頑張ってくれた。
普通は12~15時間らしいので通常の倍の時間だ。
その間、ずっと痛みに耐えてくれた。
妊娠中も、つわりがひどい中、横になりながら、
私が仕事から帰ってくると、
笑顔で「おかえり」「お仕事おつかれさま」と言ってくれた。
一度、流産も経験している。
流れ出てしまった白い塊をきちんと包み、
それを持って産婦人科に行き、先生に報告していた。
横にいた助産師さんに、
「きちんと丁寧に持ってきてくれてありがとう」と
言われたとき、妻は急に声を出して泣いた。
今回、娘が無事生まれてくれるまで、
不安が常につきまとっていたに違いない。
胎動を感じない日には、お腹の赤ちゃんにずっと話しかけていた。
そんな中でも、妻は笑顔を絶やさなかった。
さらに、さかのぼれば、
私がパパでいれるのは、妻が僕と結婚してくれたからだ。
あの過去があったからだ。
僕と結婚してくれたことに、
僕はちゃんと感謝の気持ちを伝えた事があっただろうか?
そして、いまある、娘のいるこの幸せは、すべてママのお陰ではないか。
僕は修正しないといけない、と思った。
娘にのみ向けていたベクトルを、妻にも。
育児というと文字通り、子どものみに意識がいってしまうが、
ママの存在が無ければ、
パパにはなれなかったという事を、
そしてパパでいれるのは、
ママの計り知れない頑張りがあることを、
我々パパは忘れずにいよう。
「ママがいるからパパなのだ」
この言葉を、僕はずっと忘れずにいよう。